Heart is filled

自分が嫌いをやめよう

 

ご訪問ありがとうございます!

ブログを通しての

ご縁に感謝します♡

 

f:id:sudeniaru:20181203060143p:plain

 

 

久々にブログを書きたい

衝動が起きました。

 

前回書いてから、

一ヶ月近く経っていてビックリです。

 

『続きます』と言いながら、

続いていませんでしたね。

 

 

以前の私は、

自分のことが嫌いでした。

 

頭の中に出てくるのは、

ダメだった自分を責める言葉ばかりで、

いつも心が苦しくて、

もうこんな毎日から

解放されたいと思っていました。

 

 

常に「私の何がダメなんだろう」と

ダメな自分にフォーカスし続ける

言葉が浮かんでは消え、

これは、無意識に

習慣化していたので、

気づくと自分はダメだと

落ち込んでいたんです。

 

自分で自分にダメだしすると、

他人からもダメだしされます。

 

自分で自分を責めると、

他人もあなたを責めてきます。

 

自分が自分を大事に扱えば、

周りも大事にしてくれます。

 

逆に、自分を丸ごとOKにしていると、

周りもそのままのあなたを

OKにしてくれます。

 

自分が自分をどう思っているか、

どう扱っているかが、

他人との関係に比例していました。

 

自分を嫌っていたら、

いつまでたっても

他人との関係に悩み続ける。

 

そう思い、自分を好きになろう!

と思ったんです。

 

頭では好きになろうと思っても、

今までの思考癖が

すぐには変わりません。

 

自分を責める思いに加え、

出てくるネガティブな思い。

 

いけない、いけない、

ポジティブな思考を送り出さないと、

現実がまた悪いものになってしまう…

 

無理やりポジティブに変えるけど、

気づいたらまた落ち込んでいる

この繰り返しでした。

 

 

観念浄化ワーク

自己否定の観念を飛せることを知り、

上の記事で書いたように、

自分のここが嫌と思っていることを

ハートロケットで飛ばしていきました。

 

 

自分の嫌いなところを

書き出すと止まらない。

 

書いてみて初めて、

私はこんなにも

自分のことが嫌いだったんだ…

 

書き出した観念の数だけ、

自分を責めて生きていたことを

客観視する、もう一人の自分がいました。

 

こんなに自分を嫌って、

そりゃ苦しいはずだね

頑張って生きてきた私がかわいそう…

そう思ったことを覚えています。

 

 

自分が嫌いな上に、

母が自殺したことで、

自責の念が更に重なっていました。

 

自殺した母と

最後に会話したのは私でした。

 

「あの時、止めていれば

 母は死ななかったのに」

「何で母の異変に

 気づいてあげられなかったんだろう」

「もっと感謝を言葉で行動で現していたら、

 死ななかったかもしれない」

「何で、あの時…」

「なんで」

「なんで」

「なんで」

 

母が亡くなってから、

自責の念に苦しみ続けました。

 

 

すべて気づくのは、

何か事が起こってからなんです。

 

あの時…と思っても、

その時はわからなかったし、

「今から死ぬよ」なんて

宣言されたわけではないので、

気づくことは不可能に近いのに、

それでも自分を責めるんですね。

 

 

周りで楽しそうに

笑っている人たちが

本当に羨ましかった。

 

家に帰れば、親がいて、

家があって、働いたお金は

自分の為に使えて、

自分の自由になる時間もあって、

家に帰っても家事をする必要もなくて、

好きなだけ好きな時に眠れて、

何より母を救えなかったという

苦しみがないことが羨ましい…

挙げればきりがないです。

 

 

今、このブログを

読んでくださっているあなたも、

私から見たら、相当羨ましい人に

値するかもしれません。

 

 

家族がいる、家がある、

健康、ご飯がある、

お金がある、自由な時間があるなど、

全部すごいこと。

 

それまで当たり前だと思っていたことが

私の手の平から、

するするとこぼれ落ち、

何もなくなった手の平を見て、

初めて気づきました。

 

私が欲しいものは、

すでに手にしていたのに…って。

 

持っている時は、

気づけませんでした。

 

 

そして、いつも幸せそうな人と

比べて落ち込んでいました。

 

私としては、落ち込んで絶望を感じ、

まるで悲劇のヒロインのように

過ごしていたのですが、ある時

周りから「悩みがなさそうで羨ましい」

と言われたんです。

 

??? ( ´・д・)

 

えぇ、こんなにひどい人生なのに?

こんなに悩みでいっぱいなのに?

私が幸せに見えるの?

 

 

この体験から、

私から見た幸せそうに見える人も、

実は悩みでいっぱいかもしれない。

 

私が勝手にあの人は

悩みなんかないんだろうと

思っていただけで、

実際はわからないんだと

捉えることができ、

昔よりは人と比較することが

減ってきました。

 

…が、自分を好きじゃない、

自分を責める思いから解放されたい。

 

 自己否定の観念浄化を日課としながら、

他にも取り入れていきました。

 

 

よく自分を愛するには、

自分のやりたいことをやりましょう

ということを耳にしていましたが、

それまでの人生、

母が亡くなってからは

私が家事をすることになり、

私よりも家族優先。

そして、宗教に入っていたので、

私よりも人の幸せのためにと、

すべてにおいて自分は

後回しで生きてきました。

 

 

自分を優先に生きることを

してこなかった私に、

やりたいことをやってください

と言われても、

やりたいことが何なのかが

わからないんです。

 

(  ̄~ ̄;)ウーン…

 

考えても全然浮かびません。

 

他人優先で生きてきた人、

自己犠牲がベースになってる人、

周りの目を気にして生きてきた人は、

やりたいことは、

なかなか浮かばないと思います。

 

 

このやり方では、

やりたいことなんだろうって

悩み続けて人生終わっちゃう、

そんな状態でした。

 

 

それならば逆に、

「やりたくないことをやらない」

をしようと思ったんです。

 

 

~しなければいけないで

生きてきた私にとっては、

こちらの方が

見つけやすいだろうと思いました。

 

 

やりたくないことは

何だろう?

 

 

やっぱりすぐ出てきました。

 

その時、浮かんだのが

毎日食事を作ることでした。

 

母が亡くなってから、

ずーーと家族の為に

食事を作ってきました。

 

よく考えたら、

ご飯作って!なんて、

誰にも頼まれてないんです。

 

家族で女一人残っているのは私だから、

やらなきゃって勝手に思っただけです。

 

作らなければいけないと

勝手に自分を縛って苦しんでいました。

 

もちろん、仕事関係の人たちとの食事や、

たまに行く友人との食事などは行ってました。

 

 

自分にやりたくないことをきいて

出た答えが『ご飯を作りたくない』でした。

 

でも、さすがに毎日作らないってことは

できなかったんです。

 

なので、金曜の夜だけ。

 

 

この金曜の夜、仕事を終えてから、

自分の好きなことができるってことが

本当に幸せでした。

 

好きなことっていっても、

カフェでゆっくり本を読むとか、

その程度です。

 

 

f:id:sudeniaru:20160918124446j:plain

 

 

 

他の人から見たら、

こんなことで?ってなるでしょう。

 

私は、普通に誰でもやっていることが

できなかったんです。

 

 

自分だけ、おいしいものを食べると

家族に申し訳ないとか、

勝手に罪悪感を感じていました。

 

弟たちは逆に好きなものが食べれる~♪

姉ちゃんがいなくて自由だ~♪

ってなっているかもしれないのに、

何につけ、罪悪感を持って

自分を責めることが多かったんです。

 

 

そんな私が罪悪感なく、

好きに過ごせることの幸せ♡

週に一度、この日を設けただけ。

 

 

こんなささいなことですが、

自分に嫌なことをやらせないことで、

私の中には満たされた感覚が芽生えました。

 

 

自分にやりたくないことを

やらせないっていいかも!

 

 

これを機に、

やりたくないことはやらない

これに拍車がかかります。

 

 

続きます